1995年1月17日、阪神淡路大震災が起き
ました。私は大震災一ヶ月目にして、神戸郊
外の知り合いの家で沢山のおにぎりを作り、
リュックに詰められるほど詰めて、それをひ
とりで背負い車に乗ったり歩いたりして被災
地の慰問に訪れました。
自転車日本縦断の時、神戸の町で私を見
た小学生の子供たちが、はしゃぎながら私
をどこまでも追いかけて来てくれたので、
「もうここまででいいですよ。ありがとうね。」
と、言って一緒に記念写真を写しました。
私はそれを大きく引き伸ばしてこの神戸に持って来ていた
ので、その写真を手に持ち、神戸の中心地で探しながら、破壊
した地獄絵に見えるビルの間を抜けて、市役所へと向かいました。
そこはもう言葉には言い表せられない悲劇、そして悲惨で、人間が自然界に破壊さ
れたもっとも恐い状況下にありました。
私は被災者の方におにぎりを差し上げたり髪を梳いてあげたりと、優しく話しかけ
てみました。
市役所の正面には不明者の名簿が張り出されていました。
身内を探す人、友人の安否を尋ねる人。その悲惨な状況下に私は抑えていた涙が
一気に溢れました。
結局、写真の少年たちとは再会出来ませんでしたが、私は今もこれからもずっと
あの子達との再会を夢見ています。
平和に生きている東京の人たちとの、この明暗に私は色々と心を学ばなくては
ならないと思いました。
そして人はまた悲しみ苦しみの中皆様に助けられ救われて、そのときに今以上
に人間の心の大切さが分かるのだと思いました。
お互いにもちつもたれつと言う感謝と言う言葉の重みを、心に受け止めて欲しいと
思います。
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