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 ポンチャン.com   
  


女自転車日本縦断日記 目次

52歳の秋、私はエチオピヤ難民救済運動のために34日かけて日本縦断自転車の旅をしました。函館から鹿児島まで疾風のごとく駆け抜けた自転車
の旅日記をここに綴ります。


1、旅立ち ー函館ー
  出発地の函館港で、私はこれから始まろうとしている旅に思いを馳せて遠くに広がる
  海を見つめていた。


2、津軽海峡
  船上で若者たちとの出会いは私の心の励みとなった。私はこの長い船旅を終えたら
  青森市から日本一長い国道四号線を一般車と並んで東京都中央区まで疾走すること
  となっていた。


3、その山を越えて
  青青県八戸の山間の急坂、左手の田園には秋を知らせる彼岸花が咲いていた。
  果物園で腰掛けて地元の女性とリンゴを齧った思い出。


4、初めての取材
  断られ続けてやっと入れた民宿。心休んだ民宿のおばあちゃんと一緒にお風呂
  に入った想い出。


5、危険な思い出
  山道で土砂降りに遭遇した私。その時、私のそばで一台のダンプカーからチンピラ風
  の1人の男が降りた。 


6、草加市に到着
  長い利根川を渡り終えると友人や町内会の人たちが待つ草加市に着いた。
  一泊した貴重な思い出の地。


7、親切なお巡りさん
  自転車を置いている駅で私はひとりのお巡りさんと出会った。
  人間の優しさに触れた日の出来事。


8、熱海から三島へ
  なんども民宿に断られた夜。三島までの急カーブの山道は難だった。


9、雨の中を突っ走る
  土砂降りつづく中、私は熱海から静岡までの道のり130kmを突っ走った。


10、鈴鹿峠
  体が1本の線に縮まるかのように私は恐怖で山道の鈴鹿峠七キロを登り終えた。
  この境遇の中で夢や希望も消えて行くけど、この長く寂しい山道から開放された
  らまた私は元の私に戻るだろう。


11、震災前の神戸
   神戸中心を走っていると子供たちが何処までも追っかけてきた。
   その時の想い出の写真を手にして翌年の大震災後に私は被災地を歩いた。


12、日本人もまだまだ捨てた物じゃない
   山間の町相生市。疲労した私に大きな励ましを与えてくれた一枚の写真
   と一通のお手紙。 


13、あるおじいちゃんとの出会い
   山中の小さな町で触れたあるお爺ちゃんの暖かい手の想い出。


14、宮島
   あらポンチャンを見失ったよ、と言って軽トラックから降りてきた1人の
   中年男性は私に宮島のアナゴ弁当を差し入れてくれた。


15、ついに九州到着
   開門海峡を自転車で超えて、遂に九州到着。しかし、最初の宿はドライブイン
   の厨房だった。気を抜けない危険な出来事の起きた日の思い出。


16、鹿児島県
   県境を越えて鹿児島に入ると、故郷の友人達が私を出迎えてくれた。地元の
   人たちの心の温かさを知った想い出。


17、薩摩おごじょ お帰り
   故郷での大歓迎は私にとって一生忘れられない記念日になりました。



自転車日本縦断







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     エッセイ集目次

1 私の日常生活

2、薩摩おごじょ

3、国内の旅


4、海外の旅

5、自転車日本縦断の旅

6、普賢岳の千羽鶴

7、阪神淡路大震災

8、私の服飾観


9、命が延びる食生活

10、思い出は霧に包まれて

11、世界で一番大好きな


12、高隈山 戦争


13、松竹梅 一本松