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私の服飾観 6

大和の民族衣装 着物 




緑に囲まれた千年の都


1200年の歴史をもつこの静かな古都のたたずまいは今も王朝の面影を残し

て私達の民族衣裳でもある着物を静かにはぐくんでまいりました。ここ京都駅から

南北に伸びた通りに呉服問屋街が立ち並ぶ古風な通りがございます。 私もなん

どとなく足を運んで染めの着物などを買わせていただきました。

この呉服問屋街は室町時代に室町幕府が置かれていたとろでもあります。京都は

古き町並みや小路そして、美しい自然の中にたたずむ歴史ある神社やお寺が多く存

在しております。又世界遺産にも登録されております寺院もございますし、紅葉、

桜、梅、花の巡りもある大変静かでこころ和む地なのです。

日本民族衣裳の着物は歴史的に大変長く私たちの国にしっかりと定着してきました。

それでは千年の都京都への心の旅をしながら、奥深き着物の歴史を私の心の視点から

見て少しだけ振り返ってみたいと思います。

私達の民族衣裳は日本と言う独自の風土の中で幾重の歴史を繰り返しながら時代の

流れに対応し成長してまいりました。


弥生時代

古希時代 

日本の古代は当時の先進国、中国からの影響を受けております。その歴史は長く古

くは古希時代から始まり縄文時代にはまだ布と言う布があリませんので樹皮猛獣

の皮または鳥などの羽毛などで身を守っておりました。男子は身体に巻く原始的な

横幅衣で、女子は現在のポンチョに似た貫頭衣などで身を守りました。


奈良時代 

この時代は大陸との交通が盛んになった時代でもございますから、上流階級の人た

ちの間で豪華な絹織物の衣裳を着るようになりました。


●平安時代 

この時代は遣唐使が廃止されましたので、着物のほうは湿度の高いわが国の風土また

生活様式にふさわしいゆったりとした着物が生まれました。また着物の原型にもなっ

ております平安時代の、華やかな衣裳でもあります十二単衣かさねぎと束帯
(そくたい)


鎌倉時代

この時代は武士が勢力を高めて来た時代でもございますので、現在の着物の原型でも

ある小袖と袴と言うのが、武家女性の間で広がったそうでございます。


室町 桃山時代

金襴、緞子、金らんどんすの帯締めて、花嫁御寮は何故泣くのだろーと歌われた 

哀しく寂しい詩です。染色の技術が飛躍的な発展とともにやってきましたので、

それに並んで縫うという技術もまた必要となってきました。この時代の小袖の絵柄

にもその染色がはっきりと証明されるようになりました。そして袴が姿を消し

着流しが一般的な風俗として見られるようになりました。着物のほうは小袖という

ものの形が完成されていく時代でもありますから、染色工芸もまた盛んになってき

ましたので、ここで絵模様の
幻の辻が花染めの出現です。(室町時代後半から

桃山時代末まで染色されていた絞り染めの中に筆で花鳥を書いた染色方法です)

またこの時代には豪華な花嫁衣裳の白無垢も使われだしたそうです、


江戸時代

この時代は庶民が社会的に勢力を獲得した時代に入りますので、着物の原型とも言わ

れている小袖が庶民の間で広がりました。そして帯揚げ帯締めなどの小物なども後に

並びました。そして私たちの国の模様染めの最高峰とも言われている
宮崎友禅斎

扇絵師で知恩院の前に住居を構え京友禅を開発した人です。


明治時代以降

明治維新によって社会全体がめまぐるしく変貌した時代とも言えましょうーこの時

代は欧米文化が見えてきた時代でもあります。そして着物は小袖の時代ですが文明

開化の影響で、この明治時代中期ごろから洋服が庶民の中に息づこうとしてきまし

たので戸惑いなどもあったのではと想像をいたします。その後日常着の支流と

なったセルやモスリンの着物用の生地が生産されたのです。(私が成人をしたころ

明治41年生まれの母から銘仙と木綿、そしてモスリンやセルの話を聞きました。)


大正時代

大正時代に入りますと裾模様の着物や、日常着の着物は銘仙と木綿などだった

そうです。


昭和の時代

日本全土を襲った世界大戦、人々は廃墟と化した都市の中で、みんな生きるため

に共存して命のある限り精一杯生き抜いてきたのです。そして戦争で着物や帯など

の宝物などが焼けてなくなった人たちも大勢いました。また大事にしていた着

物を質屋に持って行き、借金をしている人は借金とりから追われ夜中に逃げる人た

ちもいました。好きな着物で着飾る夢はほど遠くなっておりました。これが戦後

の日本の姿・・です。

そして長い空白時代を迎えて庶民の生活が落ち着くにつれて、伝統の着物が根強

く大輪の花を開花させました。日本民族衣裳がこうして幾重の長い時を過ぎ、生活

空間にしっかりと密着してきたのは着物文化のその歴史の重みと日本独自の着物の

多様性から生まれた美しき和の代名詞だからなのです。そして先祖から伝統を重ん

じるわが国の人たちの伝統的生活様式を求める着物への熱意がそこにあったから

なのでございます。

又この着物の美しさは他の国の民族衣裳と比較しても少しもひけをとることは

なく、近年国際的にもその着物の美しさが見直されてまいりました。それにちなん

で日本の染色のよさを披露する美の祭典なども行われました。何よりも喜ばしい

ことは若い方がたにも着物のよさが見直されてきたと言うこでございます。    

                    

●日本の四季を彩る各地の祭り 夏祭り 神の前で舞う

  日本三大祭り

  京都三大祭り 

  大阪三大夏祭り


浴衣がもっとも似合う花火大会で浴衣を着て乗り合い屋形船に乗り、花火を観覧す

るなんて幸せすぎますね。

又ここでも浴衣が似合う夏の風物詩風鈴市

私も初めて風鈴市に行ってまいりました。無数の風鈴の音がそよ風にこたえ撫で

ー日本の風鈴市、浴衣姿の人々の風鈴市音頭が又祭りをいっそう盛り上げてくれました

そして各都市の一年に一度の大きな縁日、夏祭り

お祭りは集団と言う意識の中ではあリますが、和太鼓の迫力満点のドンドコドン

という音とともにみんな輪になって踊りだす光景は見ている私たちにも気が燃

え立つひとときでもございます。

そして涼しさを連想させるような夏模様の浴衣に鼻緒の太い下駄を履いて、

カランコロンと歩くその初々しい姿はとても懐かしく、何故か癒されてつかの間

の心のよりどころにもなっております。浴衣の絵柄も年を追う事に絵模様も増え

てまいりましたので、このような喜ばしいときこそ個人の個性を引き立てるバリ

エーションを楽しみながら変化させる、そんな浴衣姿もまた現代の風潮かもしれ

ませんね。

そして京都三大祭りの時代祭りなどは王朝文化の華やかさと誇り高き時代背景

をかいまみるようでなりません。又祭りの衣裳に目を向け見入っていると、その

着物の美しさは歴史の重みとそして遠い祖先への感謝の気持ちもじんわりと沸い

てまいります。又豪華絢爛の衣装の裏には、先人たちのご努力の証が刻み込まれた

かのような、四季折々の美しい気候の空気を含ませながら染め織物への情熱に一心

にし日本独自の文化をきずき上げた功績を私たちのこころに受け止めなくてはな

らないと思います。

それでは最後になりますが


 ●きものTPO

 時 場所 場合

 時と場所、そして場合によって行動しましょう

それにあった着物選びをしましょうと言うことなのです。TPOとは着物の世界だけ

の約束ごとではございません。社会生活する上での常識ある行動と自覚をもった

社会人であると言うことなのです。

自然を紡いて染める日本の色。人間にたとえるとしたらゆとりある和の心の教育ですね。

そして着物とは奥の深い心の旅路なのかも知れませんね。

   

                       

経歴  

         
昭和53年から着物学院の講師

着物姿で表紙を飾る 

着つけ教室5教室

有名な呉服屋さんの着つけコンサルタント

結婚式の着つけコンサルタント 司会

祝賀会の着つけコンサルタント

着物の展示会のゲスト 販売

成人式2000人を動員したショーの着つけコ

ンサルタントと 総合司会


所属していた劇団の着つけコンサルタント


            出演


コマーシャル  着物姿で四本出演

京都太秦イベント モデルおいらん

民族のドラマ  着物

被災地の救済 着物姿一人芝居 着物ショー


 

            

          


私の服飾観 目次

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   エッセイ集目次

1 私の日常生活

2、薩摩おごじょ

3、国内の旅


4、海外の旅

5、自転車日本縦断の旅

6、普賢岳の千羽鶴

7、阪神淡路大震災

8、私の服飾観


9、命が延びる食生活

10、思い出は霧に包まれて

11、世界で一番大好きな


12、高隈山 戦争


13、松竹梅 一本松