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 ポンチャン.com   
  

思い出は深い霧に包まれて

B 飴売りおばちゃん



   
 1、戦争の傷跡


  逢いたいーー逢いたいーーあのおばちゃんに逢いたいなぁぁーー

  そのおばちゃんの苗字は天下を取った方と同じ苗字で、とても上品で

  優しい言葉遣いの人だった。

  私が小学高学年の頃からの知り合いでしたから、今思えば当時おそ

  らく40歳は過ぎていたのかと想像しております。

  おばちゃんは戦時中看護婦さんに選ばれて、とても責任のある大きな任務に

  ついていたと、母に聞いた事があったのをかすかに覚えている。

  それで汽車に乗り降りするときに、事故にあって足を切断されたと聞いています。

  つらかったでしょうねーーーおばちゃんは

  職がなくなったおばちゃんはまだ若いのに、それに小柄な体に松葉杖をついて

  雨風の日も大きな風呂敷をしょって、汗を拭き拭きして歩いていた姿が今なお

  鮮明に蘇ってまいります。

  そんな境遇の中にいても強く生きているおばちゃんとの出会いに、私は誰と逢う

  よりも心が和みました。

  私はそのころからあんまり同級生と群れて歩く事が何故なのか好きではなかった。

  お茶目な私は少しのことでもすぐ情愛に浸って良く泣いていた。

  それにとても恥ずかしがりだった。

  でも喧嘩大嫌い虐め大嫌い、陰口大嫌いな私は、子供たちの喧嘩を見たら

  場所など問わない年下だろうが年上だろうが、私はまるで牛の角突きのような勢い

  で突進して行き、

  「喧嘩は一円もならんとおとうちゃんが言った。」

  といいながら大きな目で皆をにらんでいた。

  そしたら関係のない男の子供たちも笑いながら逃げた。

  そしてみんなおいで田んぼに蓮華の花が咲いて奇麗だよー

  他人さまの子どももおんぶして仲良く家路へ向かったものです。

  私にはどんなときも暖かい家族がいつでも迎えてくれるので、それと飴売り

  おばちゃんと街の下駄屋のおばさんだけは私の味方だったと思います。

  早くもさつまいもの収穫の季節になりました。

  そんなある日の事です。 




  

    2、からいもの季節
      さつまいものことである。


   小学校の帰りに広い畑の向こうに、飴売りおばちゃんの姿が見え隠れして

   いた。私は運動会の走り競争のようにハァハァと息を荒げて、

   「おばちゃん、おばちゃん。こんにちは。今日は飴をあたいのお父ちゃんに

   売りましたか?」

   それに今日はあたいの畑に大きなトラックが何台もやってくるので、お父ちゃん

   は大忙しです。

   農林省の検査官でもあるので、沢山の加勢してくれる人を頼んで、芋が澱粉

   工場へ運ばれる日なんですよ。

   あたいなんか今日は家に帰っても邪魔、邪魔なんです。

   そこの蓮華畑で日が暮れるまでみんなと遊びますが、日が暮れてもだーれも

   迎えなんか来ませんよ。

   おばちゃん!父ちゃんのポケットはいつもお金で膨らんでいます。

   それからきれいで高い物が好きなあたいのおかあちゃんは、お金があっても

   買う品がない時代だといつも小言ばかり言っています。

   父ちゃんはお金持ちだから飴をバケツいっぱい買ってくれるのよ。

   あたいはお父ちゃんに毎日毎日おばちゃんの芋飴を沢山買うように、うるさく

   言っておりますから父ちゃんは玄関先で帽子を頭にちょこんと被りながら、

   「分かった、 分かった。」

   と笑いながらいつもお勤めに出ますよ。

   なんにも遠慮しないでいいのよ。ついでにご飯も食べて帰ってください。

   近所のおばさんは毎日のように、時計が12時ちょこっと前になると、トボトボ

   と歩いて来て、おかあちゃんの美味しいご飯を食べにくるのがもう癖になって

   おります。ご飯はみんなで仲良く食べるほうが楽しいもんね。

   「有り難うーー 本当にあなたは優しいのね。」

   といって髪の毛をいつも撫ぜてくれた。

   おばちゃんはほっ被りにしていた日本タオルを頬に当て、そしていつも

   笑いながら涙をぬぐっていた。

   私も泣きたくなってきた。

   おばちゃん苦しかったのね。

   戦争はこんな優しい奇麗なおばちゃんの足まで壊してしまった。

   戦争なんて大嫌いだ!!







     3、今になって何故だろうーー


   あの飴売りのおばちゃんに今私はたまらなく逢いたくなってきた。

   私が年を重ねたからだろうか。

   それとも人間観察に疲れたのだろうか。

   人間の本質を知り過ぎたのだろうか。

   そのため逆に外見は楽しく送っているように見えるけど、

   心の中は現代社会がせわしくなり、人の心も逃げちゃったので、昔が懐かしく

   なって回顧したくなるのだろうか。

   でももうあの綺麗なおばちゃんは風の便りでこの世にいません。

   私はこれからもずっと綺麗な思い出を心に残して生きようーー

   それだけでも心が和むから幸せ者だ・・

   
   天国のおばちゃん聞えますか。私は大人のいい年

   の大人になりました。でも私は今もあの時のように心の

   中は一匹狼です。自分を守るために、眼光が少し鋭くなっ

   たかも分かりませんね。おばちゃん

   えぇ?私にそんな目は似合わないと、おばちゃんの声が

   聞えたようです。いや鶯の鳴いている声でした。

   私は今この長い樹木のある歩道を陰に寄り添い歩いて

   おります。木の中からウグイスがホーホケキョと鳴いておりますので、とても心癒さ

   れております。いや昨日も蝉の合唱団でしたよ。

   早い物で今年も平成24年9月も中ほどに入りました。

   間もなくこの町ともお別れの日が切々と迫って参りました。

   おばちゃんのような優しいまなざしの人が私は好きですから、世の中がどんな

   に変わっても変わらぬ心を持ち続けて元気に生きて行きます。

   もう今はお父ちゃんもお母ちゃんもとっくにいませんから、いつか私もそちらに

   行った時には、たくさんお金を持って芋飴をバケツいっぱい買いますね。

   いやー買わせてくださいね。

                       
             
           素敵な思い出有り難う

           大好きだった 飴売りのおばちゃんへ 
                    


                  
      






思い出は霧に包まれて 目次

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     エッセイ集目次

1 私の日常生活

2、薩摩おごじょ

3、国内の旅


4、海外の旅

5、自転車日本縦断の旅

6、普賢岳の千羽鶴

7、阪神淡路大震災

8、私の服飾観


9、命が延びる食生活

10、思い出は霧に包まれて

11、世界で一番大好きな


12、高隈山 戦争


13、松竹梅 一本松