忘れもしない1991年6月3日(平成三年)、大規模な人的被害をもたらしたのは
島原半島のど真ん中に聳え立つ雲仙普賢岳だった。
それまで、その裾野で心豊かに日々を暮らしていた多くの家族が家や畑を一瞬に
して飲み込んだ普賢岳の大火砕流。
高温ガスは熱風を伴って下流へと流れ、水無川流域で土石流で溢れ、人々は
この予期せぬ天災によりパニック状態へと陥った。
この時は、取材マナーやゴーストダウンと化した火事場泥棒などの批判があったの
もご承知の通りである。それはあまりにも過剰報道の中で起きた惨事だったと問わ
れた事件でありました。
現地の人々は二重にも三重にも苦に悩まされたに違いありません。
とても残念な気が致します。
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