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 ポンチャン.com   
  


普賢岳の千羽鶴さん


@チャリティーショー



今から21年前のことである。(以下本文郷土雑誌より)



あれは夏のカンカン照りの下、自転車で入場券売りに忙しく廻る一人の女がいた。

それが私。私はこの日のために生かされてきている。そう思うと自転車のぺタル

を踏む足も身も爽やかになってきた。

「こんにちは。お元気ですか?今回の第三回ポンチャンショーは雲仙普賢岳の為

のチャリティーショーに決まりました。新しい出し物と致しまして、今回はピエロとコ

ントが加えられました。どうぞお誘い合わせの上お越しくださいませんか。テレビに

も私が出て宣伝をさせていただきますのでよろしくお願いいたします。」

と、毎回私の慈善活動を心から応援して下さる方々にお声をかけて回るけれど、

入り口が閉ざされて犬の吼える声がいやに耳を突くこともある。

そうだ、今回は往復はがきを出そうと思ってやってはみたが大半は回答なし。 

私って甘いぞ!と自分で自分を叱りながらの戦いが始まりました。

もうあれから三週間が経ち、チャリティーショーまで後2週間足らず。入場券は

わずか40枚そこそこしか売れていない。

初日まで企画、演出、出演、総合監督、それに入場券売りと全てひとりでこなす

いつもの私である。

当時のマネージャーと付き添いの助けも借りることを拒否した私は入場券の売却

から初日まで出来るだけ自分の力でやることを選んだ。

家庭のことも完璧にやらなくてはならない性分で心労が溜まってきた。

母に無性に逢いたくなり、久し振りに里帰りをして母とともに父の墓参りをした。

幼少のころ母の袂を引っ張ってやってきたこの場所は、あの時となんら変わらぬ

ままである。

ここで母と肩を並べて拝むと心の中で豊かさが溢れ出てきた。

当初、突然の帰宅に母は驚き、私の大好物の蕎麦打ちが始まって、近所の人たち

がやってきた。それから二時間ぐらいはいただろうか。

後ろ髪を引かれながらもショーの事が気がかりで、私は鹿児島のほうへすぐに

帰った。家に着くなり郵便ポストを覘いて見たら、そこには驚くほど沢山の

ハガキや遠方からの励ましのお手紙があり、私の心は弾んだ。 やった!やった!

今回司会をして下さる歌手の池田さんは知り合ってまだ日が浅いのに、快く引き

受けて下さった。会社の方々が入場券をこんなにと言って現金を届けてくださった。

そして

「僕に出来る事は何でもどうぞ」

と、久し振りに聞く暖かい言葉が胸を打つ。

ショーが近づくにつれあんなに静かだった電話もひっきりなしに鳴り響き始めた。
                                 
                                        

次は、普賢岳の皆さんのために

普賢岳の千羽鶴さん 目次







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   エッセイ集目次

1 私の日常生活

2、薩摩おごじょ

3、国内の旅


4、海外の旅

5、自転車日本縦断の旅

6、普賢岳の千羽鶴

7、阪神淡路大震災

8、私の服飾観


9、命が延びる食生活

10、思い出は霧に包まれて

11、世界で一番大好きな


12、高隈山 戦争


13、松竹梅 一本松