少し冷静さを取り戻した私はこの時期に被災地を訪問してご迷惑ではないかと
思ったりもした。気持ちが複雑に揺れながらももう前進するしかないと覚悟の
船旅であった。
スタッフ五名と鹿児島発の一番列車で熊本経由三角港へ向かった。三島港の待合
室は人気のないがらんとした空気に包まれていた。売店のおばさんと駅員さんの姿
だけがやけに目立つ。ここもまた噴火のために観光客が減ったのであった。
待ちに待ってやっと乗船の時間になった。大きな客船には空席が目立つ。
スタッフの小さなラジカセから串木野のさのさが流れてきてつかの間の安らぎが
もたらされた。
間もなくすると誰ともなく
「雲仙が見えましたよー。ほら、あのへんが島原市よ。左側が深江町よ。」と言い
だした。見ると最高峰の普賢岳は白く煙って全容が良く見渡せない、
中腹から緩やかに傾斜し裾野は海に落としているそうだが、全くそのとおりのようだ。
私は直に島原半島を見るのは生まれてはじめてである。
穏やかな島原港を通過した船はやっと島原外港に到着した。
そこでは役場の若い職員が私たちを出迎えてくれた。
役場の車はややスピードを上げあの多くの犠牲者を出した水無川下流へと
差しかかった。警戒地区とあって国道251号線沿いには、制服姿に身を引き締め
た警備員の姿が見られた。
スタッフ一同はせまい車内の中で緊張感に包まれた。
そして普賢岳の白い凄惨な姿が見えた。
誰ともなく驚きの声が上がった。
あのテレビで何度も目にした6月3日以降の水無川が現実にそこにあったのだ!
それは自然の恐ろしさ !
土石流の想像を絶する莫大な量。岸も川もそのものがなくなるのではないか。
私は車の中からまるで動く雲を探すかのようにして見回したが、そこには人の動く
姿は全くなかった。
家々の周囲に広がる田畑は白い灰に覆われていた。
アジヤ大陸の東の端南北に長い孤状の列等日本、そこは海に囲まれた小さな
島国だが、多くの祖先の血、汗、涙によって今日の日本がある。
しかし華やかな都会があるかと思えば、その裏には明日や未来の夢さえ閉ざさ
れた現実が確かにあるのである。
その心情をどこに訴えたらみんなが幸せに暮らせるのだろうかと、私は痛切に思
った。
車は間もなく左折して役場に到着しょうとした。
次は、千羽鶴
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