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自転車日本縦断 


1、函館より旅立ち


             
南国鹿児島にも秋の気配が爽やかに感じられてきた9月26日、私は日本縦断自転車

の旅でエチオピヤ難民救済を訴えるため、旅の出発地である函館へと全日空便で向

かった。

初めて上空から見る東北地方は、厚い雲に覆われて陸の姿など見えもしなかった。

飛行機恐怖症の私であったが、何かに憑りつかれたように今日は平然としていた。

これまでの人生が今日と言う選択肢を選ばせたのであろうか?この時、私の中には

全霊を懸けて、この旅に挑戦しないと次の目標に進めないのではないかと言う心の

葛藤があった。


一昨日はあんなに反対していた家族も私の出発を祝ってくれた。

「三日で帰って来るだろう」と、言いながらも家族が白い封筒をくれた。
  
ぎっくり腰で出発が一日延びてしまったが、その痛さよりも郷里の母に何も告げずに出

てきてしまったことが私には少しだけ気がかりであった。

私のチャリティーショーを応援して下さっている方たちにはあらかじめ知らせして行くこと

にした。飛行機は津軽海峡上空を通り過ぎると、間もなく滑走路に滑り込んだ。

そこから札幌まで行く計画を立てていたのだが、悪天候のため、結局函館空港が出発

地点になった。まだ自転車が届いていなかったので空港から20分ほど歩いて、津軽

海峡の傍にある旅館に一夜の宿を取ることにした。このようにして私はこの旅最初の

夜を迎えた。



私は子供の頃から海や川がとてもこわかった。

思えば私が小学四年の頃、土砂降りにより近くの川が増水して幼い弟が流されたこと

があった。その時は結局私が無我夢中で助け出した。

そしてやはり小学校の頃、私は近所の一家と海岸近くにある神社へと行った。ちょうど

満ち潮の時、海の中にある小さな島の神社の長い階段を登り終えて、神社の脇で遊んで

いるときに滑り落ちてしまった。運良く木を捕まえて助かったが、下を見ると青々とした

海が目に飛び込んできた。そして、この2つの出来事により私は水恐怖症になってし

まった。少し余談になってしまったが、その函館の旅館の風呂場の窓の外から聞える

恐ろしい波の音を聞いていると胸が張り裂けるような気分になった。しかし何はともあ

れ、私は自分の使命感で、体と想いが先走ってここまでやってきたのだ。


翌日早朝、全日空の貨物運送でマウンテンバイクを受け取った私は難民救済の

プラカードを肩にかけて身支度を整えると身も心も不思議とぐっと引き締まってきた。

他界して早くも23年にもなる父の、

「がんばれよ。日本一の人助けになれ。」

と、言う声が聞えてきたような気さえもした。

その時、マウンテンバイクの頑丈なタイヤに身を委ねて、誰一人として見送りもない

北国からの本当の出発地点に私は立っていた。

そうすると武者震いにも似た強い思いが心に満ちてきた。                 






次は、津軽海峡

自転車日本縦断の旅 目次







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     エッセイ集目次

1 私の日常生活

2、薩摩おごじょ

3、国内の旅


4、海外の旅

5、自転車日本縦断の旅

6、普賢岳の千羽鶴

7、阪神淡路大震災

8、私の服飾観


9、命が延びる食生活

10、思い出は霧に包まれて

11、世界で一番大好きな


12、高隈山 戦争


13、松竹梅 一本松