ここ岡崎市は家康ゆかりの地である。今回はこの歴史に残るゆかりある地を回れないこ
とは残念だったが、又ゆっくりと来てみたいと思った。
10月19日の夜は四日市で一泊しようと思った。あんなに痛かったぎっくり腰が嘘みたい
に良くなっているのに気付いた。この頃の私は旅慣れたと言うか、身も心も穏やかになっ
てきたが、お風呂に入るとなんだか大切な足や手がいとおしくなってきた。
豊橋・岡崎・四日市はほとんどと言っていいほど山道がなくて助かった。
精神的にもだいぶ楽だった。四日市の町は商店街が多く、とても広々と感じた。ここでも
ホテルが満室で、雨に打たれながら一夜の宿を探した。やっと見つけた小さなビジネス
ホテルで一夜を過ごした。
朝を迎えた。今日は鈴鹿峠を通る予定だった。昔はとても怖い場所として知られていた
ようだ。そう言えば出発の前日、歴史学者の知り合いが、鈴鹿峠にまつわる怖い話
を聞かせてくれた。私はそれがずっと頭から離れなかった。
私は鈴鹿峠の入り口あたりで、農作業をしている地元の中年の男性に尋ねてみたら、
「この坂は七キロありますから1人で大丈夫ですか?」
と、心配そうな顔をして言われた。
廻りで仕事している人達は、私をじっと見つめて口を結んでいた。
その様子が何故か気になった。でも、もう私は引き返すわけにはいかない。
「よーし行くぞ!!」
曲がりくねった坂道を登ると誰一人として出逢うことがない淋しい山道にさしかかった。
携帯電話を片手に110番をする準備を整えてはいるが、山間に入ると電話が殆ど通じな
い。不安だけが募る。中腹に差しかかる途中、人の姿が見えた。民家らしきものも見えて
きた。私が挨拶をしても冷ややかな態度をとられた。自転車1人旅の女を見てびっくりし
たのだろうか?途中、行き交うダンプカーはこの山道ではなくて塀の向こう側の大道を
走っていた。私に何かあってもおそらく気がつかないだろう。そんな山道がずっと続いた。
鈴鹿峠の中腹を超えると、私の恐怖は極限に達した。私はなんとか冷静さを保とうと努
めた。まるで私の体が1本の線になって縮こまっていくかのように感じた。草木で生い
茂った山々、太陽の見えない空、鳥の鳴き声や人の声もしない。この辺にくると携帯
電話も通じない。私が今一番頼りにしている携帯電話が・・・。夢や希望も消えて行く
けど、この長く寂しい山道から開放されたらまた私は元の私に戻るだろう。
そんなことを考えているとやっと旧国道が見えた。目の前を一台のダンプカーが通り抜け
た。私は七キロメートルを登り切った! 私は自転車を押してこの道を登りきったのだ。
大きなため息をしながら天を仰いだ。
間もなく兜の産地甲賀に到着だ。
次は、震災前の神戸
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