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自転車日本縦断


12、日本人もまだまだ捨てた物じゃない


子供たちと記念撮影をした私は、神戸市街を通り抜けバイバス真下の旧国道の歩道

を疾走した。潮の香りに幸せを抱き寄せて須磨海岸へと急いだ。今夜はここで泊まる事

にした。

ここも宿がなかなか見つからなかった。これで最後かと思い、ある旅館を尋ねたら小粋

なおかみさんに元気な声で、

「部屋は空いておりますよ。」

と、言われた。私はホッと胸を撫で下ろした。

たっぷり睡眠をとった私は、早朝、須磨海岸を眺めながら赤石・西赤石を通って一軒の

レストランで食事を取った。店長さんがジュースをサービスしてくれた。

私は店長さんにお礼を言い、そしてその足で国道をスピードを上げて走り続けた。

時々地図を広げながらも、ここまで辿り着いた事自体が信じられなかった。

右手の薬指に少ししびれを感じたが、体調は良かった。体重も5キロ減った。

一つ位どこか支障があるのは当たり前で、すぐ完治するだろうと諦めも早い私がいた。

世の中には苦しんでいる人たちがたくさんいるのだから、何か世のためにしなくては

と考える年齢になっていた。

この日は兵庫県の県境にある山間の街、相生市の民宿に泊まった。

翌朝、私が玄関先で身支度を整えていたら、宿のおかみさんに聞いたと言って若い

奥さんが、

「あ〜間にあった。」

と、言って飛び込んでこられた。

その女性は私の行動に感動したと言う内容のお手紙を添えて下さった。

私は突然の事に驚いた。この桐生市も忘れられない思い出の地となった。

玄関先で宿に泊まっていた人たちとの記念撮影をし、私は皆に見送られて桐生市を

後にした。

これから岡山だ! 頑張ろう。





次は、或るお爺ちゃんとの出会い

自転車日本縦断の旅 目次







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     エッセイ集目次

1 私の日常生活

2、薩摩おごじょ

3、国内の旅


4、海外の旅

5、自転車日本縦断の旅

6、普賢岳の千羽鶴

7、阪神淡路大震災

8、私の服飾観


9、命が延びる食生活

10、思い出は霧に包まれて

11、世界で一番大好きな


12、高隈山 戦争


13、松竹梅 一本松