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 ポンチャン.com   
  

自転車日本縦断


13、或るお爺ちゃんとの出会い


地名の如く山、山、山である・・・岡山は。

その山々を通り越して私は倉敷に一夜の宿を求めた。

倉敷はとても静かな風情のある街だった。田園の中のビジネスホテルに泊まった。

翌朝、郵便局に立ち寄り、笠岡方面へ行くとまた雨が降ってきた。途中、笠岡検問所の

前を通過しょうとしたら警察官に呼び止められた。

それは雨の中を女1人自転車 それに奇妙なファッション。

そのファッションとは、

リュックを2つ自転車の両脇に下げ、

スパッツズボンに両足首にくくりつけたリボン、

野球帽を被り、

プラカードを背負い、

大きなサングラスを帽子にかけ、

色鮮やかなスカーフを首に巻き、

リュックの上からレインコートを羽織っている。

これを見た警官たちは何者と?思ったに違いない。

私が名詞を差上げたら驚いて、コーヒーを入れてくれたり、数枚のテレホンカードも渡さ

れた。話も弾んだ。

もし私に何かあったら、まず国道を走っている人に私を印象づけしておかねばと思ったの

である。それに難民救済も多くの人の目に妬きついてもらえるので、派手にしていたの

だ。検問所を通り過ぎ、福山を通過して25日目の夜は、海が町の近くまで来ている尾道

の高台にあるビジネスホテルに泊まった。

このホテルのテレビニュースに、広島の国道で自転車好きな耳のご不自由な男性が、

ダンプカーに巻き込まれ即死したと言うニュースを見た。私も同じ自転車大好き人間。

この痛ましいニュースを見て自分も気をつけなければと思った。


翌早朝、山を下って三原に向かった。海沿いの町で

あった。私は海沿いを走りながら東広島方面へと急い

だが、道幅が狭く、なかなか前進することが出来なかっ

た。なぜか今になってあるお爺さんのことが思い出され

てならない。あれは私が金田一温泉に続く長い急坂を

ハァハァ言って上がっていく途中、信号機の傍でお体の

ご不自由なお爺さんに出会った。そのお爺さんが私の

姿を見るなり、左手を差し伸べて、この信号を渡らしてくれ

とと無言で伝えた。私の左手はしっかりとお爺さんの温かい

手を握った。先を急がねばならない今の自分にはそのお爺さんのその一歩が長く感じら

れたが、そのまま医院の前まで送ってあげることが出来た。







次は、宮島

自転車日本縦断の旅 目次







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     エッセイ集目次

1 私の日常生活

2、薩摩おごじょ

3、国内の旅


4、海外の旅

5、自転車日本縦断の旅

6、普賢岳の千羽鶴

7、阪神淡路大震災

8、私の服飾観


9、命が延びる食生活

10、思い出は霧に包まれて

11、世界で一番大好きな


12、高隈山 戦争


13、松竹梅 一本松