山間の道を超え、広島県安芸郡の温泉に辿り着いた。一泊した。家族団欒で食事を
する時刻であった。
次の日に広島市に入る。そして広島駅前で記念撮影をした。
繁華街から本通りを抜け、朝の通勤ラッシュの傍らを走りながら難民救済をアピールする。
爽やかな朝だった。
原爆記念館に少しだけ立ち寄り、広島カーブ球団の横を通り抜けて国道に入った。
広島市郊外で花屋に立ち寄る。奇麗な花を半額にしてくれた。私はその花で自転車
を飾った。
広島を後にして、次の目的地宮島へと私は急いだ。宮島は日本三景のひとつとして
知られる。
宮島入り口にさしかかった時、軽トラックから降りてきた運転手に、
「僕は途中でポンチャンを見失ったよ! ここに来ていたの。」
と、えらい馴れ馴れしい初対面の挨拶とともに、宮島名物のアナゴ弁当と熱いお茶を
差し出してくれた。彼はすぐトラックに乗って去った。私には名前も知らないこの人の優し
さが時間とともにじんわりと広がってきた。
ちょうど宮島を通りすぎた頃、ある信号の傍で一台の修学旅行のバスが止まった。
窓から大きく手を振る学生達と音楽合唱みたいに賑やかな声援。私のプラカードを見た
運転車がバスを停めたのだ。自転車を降りて皆に有り難うと私は大きく手を振った。
そして山口県に入った。
27日の夜は玖珂郡玖珂町の静かな旅館に宿をとることにしたが、何処でも断らた。
結局、そこで知り合ったカメラ屋のお姉さんにやっと見つけてもらった。
この頃になると私の心身も晴れ晴れとしてきた。九州入りもまじかに迫ってきたからだ。
もう今までの苦労が何処かへ吹き飛んでしまっていた。快調に道を走りながら、今の
日本は本当に幸福な国だと私は思ったりもした。しかし、山々を越えているうちにとうとう
夕暮れ時になり、山間で灯りを探しながら目的地へと急いだ。結局、宇部市厚東区の
山道沿いのモーテルに宿泊した。高い料金だったが、これから先は随分先まで行って
も宿がないと聞かされていたので、本州最後の夜をそこで休むことになった。
そして29日目の朝、私は小野田から下関へと下った。
下関手前の海岸沿いを走っている時、釣り人を見かけたので、私は自転車を下りてこの
すばらしい景観を背景に写真を撮ってもらった。私はここでゆっくりする暇がなかった。
明日は九州福岡のテレビが取材をする予定だった。いよいよ開門海峡の長いトンネルを
渡った。
次は、九州到着
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