長距離滞在者が多かったために民宿のおかみさんに断られた。もうこれで3軒目で
あった。行き場を失った私は突然あることに閃いた。
「あのー、それでは間もなく始まるニュースだけでも見させてくださいませんか。もしかした
ら私が今夜のニュースに出るかもしれません。」
私のその言葉でその場にいた滞在者達の間でどよめきが起きた。
そのとき、部屋の中から私に手招きをする優しい感じのおばあちゃんがいた。
「それじゃおばあちゃんと休んでお風呂にお入りください。」
と、いう事になり私はそこにお世話になることになった。
皆さんと食事をしながら私が出る夕方のニュースを見ることになった。この民宿は珍し
く三世代が同居していることである。その頂点がみんなが
「おぴーちゃん」
と呼んでいる祖母である。私はおぴーちゃんとお風呂に入ることになった。
おぴーちゃんは色白で可愛いおばあちゃま。私がおぴーちゃんの背中を流すと、
とても喜んでくれた。
その夜は遅くまで電気が灯り笑い声が絶えなかった。
翌朝、宿の皆さんと別れ、国道を再び走り出した。
水沢、そして北方の王者藤原諸候を偲びつつ平泉の案内所の芝生でしばしの憩いを
取った。そこの事務員さんがやってきて、
「テレビを観ましたよ、頑張って下さい。」
と、励まされて牛乳を戴いた。
それから私は一ノ関を通り抜け、宮城県古川市に入った。
急に甘い和菓子が食べたくなり一軒の店に入った。ゆっくりしていたために店を出る時には
既に日が暮れかかっていた。国道から農道に入り住宅街を通り抜け、市の中心部のホテル
に泊まることになった。
その夜、風呂場の換気扇で朝までに洗濯物が乾くのではないかと思い、試しにやってみた。
予想した通りに一夜にして乾いた。知恵を搾ればいろんなアイデアが出てくるものである。
次の朝、国道四号線へ入る手前で一寸した出来事があった。
道路を渡り終えようとした私の自転車すれすれに、畦道から猛スピードでやって来た一台
の普通車が急ブレーキをかけた。一瞬の出来事だった。鋭い目つきにボサボサ髪の運転
者は知らん顔してその場を走り去った。
そう言えばここまで来る間にいたる所の道端に、花が手向けられているのを見かけた。
周囲を見渡すと田園地帯が広がっていた。このような場所で不慮の事故により命を落と
して、残された家族の悲しみを想うと他人の私さえも悲しさが押し寄せて来た。
ちょうどその頃、鹿児島の友人から私の事が心配で夜も眠れないと言う電話が入った。
そして九州某テレビ局からも九州に入る直前に、ヘリコプターを使って取材するかもしれな
いという連絡が入った。
ここまで、私のように自転車の旅をした人とは出逢わなかった。
私の背中のゼッケンを、どれだけ多くの人たちが目に留めてくれたのだろうかと想うと
やりがいが出てくる。父譲りのこの強健な足腰が一番の頼りである。それに精神力も
最後まで保たなければならない。
福島市を通り抜け、阿武熊川の橋々を通り、群山市へ入る手前の動車会社で、私は
お手洗いを借りる事になった。
ここの会社で美味しいコーヒーを戴いて身も心も温かい気持ちになった。
いままで平坦だった道路が市内に近づくにつれ長い登り坂になって来た。私は自転車を押
して坂道を登った。既に日が暮れかかっていた。
少し無理してここまで来たのでまず群山市に着いたことがなによりも嬉しかった。
通りがかりのおばさんに教えてもらった旅館に向かった。
玄関に入った私は少し驚いた。居間には絵に描いたような厳格そうなおじいさんが
キセルを加えて座っていた。昔の閣下を思わせる雰囲気が漂っていた。私を見ても一言
も口を開きもしなかった。
それとは対照的に奥さんはとても腰の低い人だった。
湯船に浸かっていると、真っ暗闇の外でざらざらと竹の音が聞こえ、そしてひんやりとした
空気が風呂場に流れ込んできたために、怯えた私は逃げるように風呂場から出た。
次は、危険な思い出
自転車日本縦断の旅 目次
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