翌日もあのダンプカーの事が頭から離れなかったが、気を取り直して走り出した。洗濯を
する心の余裕もなく、背中のリュックは濡れた洗濯物でとても重く感じた。
国道沿いの自動車会社の前を通りかかったとき、掃除をしていたそこの経営者とどちら
ともなく挨拶をした。事務所に通してもらってコーヒーやドリンクを頂いた。家族の方々と
記念写真を撮った。ここでも優しい人たちとの出会いと別れがあった。
私は宇都宮の方へ向かっていた。だが、道が悪くてなかなか前に進めない。おまけに
少しのんびりした気分になっていたら道を間違えてしまった。自転車が通れないぐらい
のせまい道幅だったために、近道をしようと土手の階段を上がった。
突然50センチ以上の段差があり、体が先走りジャンプした私はまるでサーカスの見世物
のようにうまく着地した。
宇都宮に到着した。
嬉しくって思い切り深呼吸をした。
そのとき通りかかった高校生に、宇都宮市の標識を一緒に写真を撮ってもらった。
その日は古い旅館に一泊した。
翌日は草加市にいる着付けの先生と会う約束をしていた。。先生とは私が着物学院に
勤めていた頃からの古いつきあいだ。
国道沿いにある草加市の先生の家まで後60キロぐらい、途中、私の芸名と同じ結城市
方面への標識を横目で見ながら走った。ここは結城紬の産地だ。
栃木と埼玉の県境にある利根川を越えた。越谷市を通り抜けると草加市に着いた。
先生は私の事を心配してくれて越谷に入ってからも、何回も電話をかけてくれたり、国道
沿いに立って待っていたりしてくれた。
自宅前の歩道には先生の知り合いの方達もいて、私はちょっと恥ずかしい気がした。
その晩、久し振りにゆっくりとお風呂に浸かりビールもご馳走になった。久し振りの再会に
話は尽きることはなかった。
翌朝、先生と名残惜しい別れをした私は、次の目的地である東京日本橋へと向かった。
次は、親切なお巡りさん
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