日本橋到着後、国道四号線が途中で分からなくなった。気を取り直して、中央警察署
に行き、横浜までの道順を聞いた。そこから五反田駅に向かい、品川、川崎、鶴見、
そして息子が住んでいる長津田に一番近い菊名駅まで自転車を走らせた。
菊名駅の派出所のお巡りさんが、自転車に事故防止用の蛍光塗料を塗ったワッペンを
貼ってくれた。その夜は自転車を派出所の裏に置いてもらい、長津田へと電車で向かっ
た。途中、雨が降り出したが息子のアパートに着くと、息子はアルバイトで不在だった。
大家さんに鍵を開けてもらい、私は夕食を作ったり大掃除をしていると、息子が夜10時
過ぎに帰宅した。久し振りの親と子の会話は尽きることはなかったが、彼は今の母親の
状態に唖然としていた。
翌朝、息子は私に、
「ゆっくりして行きなさい。」
と、言ったが、その言葉の裏には、もう走るなと言う意味が含まれていたように思えた。
長津田駅まで見送ってくれた息子は別れ際に、
「お母さんがしたいようにしなさい」
と、言って改札口で見送ってくれた。
私は電車に乗って菊名駅に自転車を取りに行くと、駅の改札口に昨日のお巡りさんが
心配そうな表情で私を待っていてくれた。私はここでも人間の暖かい心に触れた。
自転車を受け取った私は新横浜駅へと急いだ。
私の背中の難民救済のプラカードがどれだけの人の目に妬きついたのか?
新横浜駅を後にして246号線に入るまで随分長く時間がかかった。それから二時間くら
い経って気付たが、息子の住んでいる長津田駅を私は偶然にも自転車で再び通過しよ
うとしていた。
私は心の中で叫んだ。
「息子よー。まだお母さんこの当たりでウロウロしているみたいよ。元気でね。これは
神様のいたずらかな。」
ここでメソメソしていたら私は駄目になる。
私は歯を食いしばりながらペタルを踏んだ。
次は、熱海から三島へ
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