ここで私事ですが特にご年配の方はご存知の事かと思いますが、私が若か
りし頃見ましたあのアメリカ西部劇の不朽でもあり屈指の作品に数え上げ
られるシェーンの映画の主題曲名でもあります
この遥かなる叫び声
私が長年探し求めていたDVDが東京神田駅の改札口手前で見つけました
ときには、もう喜びを言葉で表す事が出来ないほど感動しまして、私は回り構
わずつい懐かしさのあまり有り難うと言う言葉が出てしまいました。
それほど印象深い映画でした。
この映画音楽が始まると私の体が血の毛が引くような感じになり、まるでワイオ
ミングの山に吸い込まれそうなそんな感じが致します。
映画のスクリーンに美しく映し出させる景色と、そこに馬に乗ってやってきた流れ
者ガンファィターシェーンの美しくも切ない物語の音楽に、心を癒されるのと同
時に昔を回顧した今は亡きあのアラン・ラッドの映画はいつまでも変わることな
く、私たちの心に永遠に残る作品でもあります。
映画の舞台となったワイオミングの澄み切った聖なる山で人間関係の複雑極ま
りない感情の戦いがはじまるのである。
遠い昔の人たちが開拓団としてやって来たその頃の人間模様に迫った映画で
もあり、この曲も言葉はなくても人間の心の風景と外部の風景がうまく絡み合
って、すばらしい演奏の中で遠い先祖の姿を想い起こしてくれるような、いつの
時代ににも人々の心に届く哀愁のあるすばらしい音楽でもあります。
主人公シェーンは過去に暴力の世界から足を洗って来た人間だが、自らの苦し
い胸の内を押さえつけながらも当てもなくふらりと行き着いた見知らぬその場
所で、開拓民スターレット家によって生命に欠かせない水一杯を分けてもらった。
やがてスターレット家に支えられながら人間愛の心に打たれて行きますが、その
一方で新開拓者の冷ややかな態度に苦しみながらも、スターレットの妻マリヤ
とのひそかな愛そして大人の世界からはかけ離れている、純粋なその息子少年
ジョーイとの心の繋がりが深くなっていくのである。
そして旧開拓団と新開拓団の両者の言い分を考えているとき、シェーンは何度か
酒場に足を運びながらも解決するどころかかえって侮辱を受け続け、やがて牧
畜業者が殺し屋を雇って新開拓民を追い出そうとする非人間的な日々の中で、
シェーンは新開拓民やジョースターレット家との義理や人情味のある捨てがたい
人間関係に、どんな事があってもジョー・スターレットを悪徳業者のところに行か
せる事だけは反対したシェーンは、苦しいながらもやむなくスターレットを腕ずくで
倒して、命をはりライカーのところへと馬を走らせるのである。
とにかく演技の中のシェーンは外見のカッコだけではなく、全てがカッコいいのでる。
本物のアラン・ラッドもこのような人物だったのではないかと勝手に想像しており
ます。
人間誰しもが失敗を繰り返しながらもこの映画のように多くを語らないけれど、
あの雰囲気の中に包まれた優しさと、そして凛と構えた心の姿勢はとても魅力的
ですね。
いつも陰りのある淋しい雰囲気のシェーンーー
それは人間誰でも心に秘めている生の姿ですね。
暖かいスターレット家に囲まれても控えめですばらしいシェーンの演技を演技と
一言で終らせたくない、それはシェーンの持って生まれた生き様にも見えてきま
す。これは私個人の解釈でございます。
この映画がヒットしたのは言うまでもありませんね。
最後のラストシーン
「シェーン!!カムバーック」
とても有名な台詞ですね。
必死になって引き止める少年ジョーイの演技のすばらしさ、
片方の手が力なくのびている後ろ姿の哀しさを膨らませるラストシーン
決断したシェーンは沢山の言葉をジョーイに残しジョーイの叫びに後ろを振向い
くこともなく、近くに見えるワイオミングの山へと馬とともに去っていくーーー
見ているほうもとても哀しさ寂しさを感じる場面でした。
もうあの素敵なアラン・ラッドの俳優はこの世にいませんけど、私たちの心に永遠
に残る映画の中のシェーンは多くの人々に感動を与えてくれました。
青春の思い出有り難う シェーン グッバイ グッバイーー